私の自転車日本全県走破 第7章(4)

富士北麓を行く


 次の5月4日.まだ曇ってはいるが,昨日に比べればだいぶいいコンディションに
なった.私はいよいよ富士山麓に向かって走り始めた.この辺りからなら,裏富士と
いって,足元に山塊を従えた格調高い富士の眺めが見られるはずだが,今日はたなび
く白い雲に遮られて見ることが出来ない.今回も富士山を見ることは出来ないのだろ
うか.笛吹川を渡る.昨日の雨の為に,河原にはたくさんのみずたまりが出来ている.
ここからは国道137号線を行くことになる.この道は甲州から富士吉田に抜ける峠道
で,峠の名前を御坂峠と言う.旧の峠道は標高1400m位の所にあり,太宰治ゆかり
の天下茶屋と,「富士には月見草がよく似合う」の碑が立っている.今は標高1000
m位の所に御坂トンネルがある.それにしても標高300mの甲府から1000mまで
登るというのはなかなか厳しい.今回の旅は1000m級の峠を三つも越える予定であ
る.その第一の登りである.

 辺りはぶどう畑ばかりである.宙に張り巡らした金網に,ぶどうの枝がからみつい
て,ぶどう棚が出来ている.見事なものだ.そのぶどう畑が途絶えてくると,いよいよ
甲府盆地をはずれ,山が近づいて峠道らしくなってきた.1時間走ってやっと
標高500m,まだあと500m登らなければならない.御坂町,さすがに厳しい坂道
である.川に沿って登って行くが,次第に谷の幅が狭くなって来たようだ.谷の両側に
は桃畑が多くなった.5月なのではあるが,ちょうど桃の花が満開であった.辺りは
ピンク色の桃の花の色と甘い臭いに満ちている.なかなか素晴らしい.登り坂の苦しみ
をしばし忘れた.

 単調に登っていた一本道が急にヘアピンカーブをして,いよいよ峠が近いことを感じ
させる.さらに少し登ると,御坂有料トンネルへの分岐点だ.やっと標高千mまで登り
切ったようだ.大きなトンネルの入口が見えてきた.さて,このトンネルの長さはと見
ると,なんと2778mである.これくらいのトンネルになると,危険なので自転車の
走行は禁止になっているところが多いのでちょっと心配になったが,いちおう自転車
OKである.それにしても2778mとは長い.いったいこれまでにこんな長いトンネル
を走ったことがあっただろうかと考えた.確か紀伊半島や四国で1500m以上のトン
ネルを走ったが,おそらくこれは今までで一番長いトンネルだろう.とくに歩道もなく,
たいへん不安だが,とにかく私は走り出した.

 さすがに長い.真ん中では前も後ろも光が見えなくなる.オレンジ色のナトリウム
ランプの光の中を,しばらく走った.トンネルの中はだいたいどこも平坦に作られている
ので,広くて,中が明るくて,交通量が少なければ結構快適に走れる.この御坂トンネル
,そういう条件が整っているようだ.やっと前に光が見えてきて,河口湖町に入る.
眼下に河口湖の広がりと,中腹以上は厚い雲に閉ざされた富士山の姿が見えた.
ウーム.ここまできてもまだ見えないか.私は坂道を下って,河口湖畔に向かった.
今日は登りどうしで疲れた.お昼にするとしよう.河口湖大橋を渡る.さすがにゴール
デンウイーク,道はハイカーの車で渋滞している.両側は河口湖の湖面が広がっている
.私はそのほとりの土産物屋の2階の食堂で,昼食にした.

 富士スバルラインの入口を越えて,富士吉田市へ.この辺りから,下り坂が登りに
変わってきた.北口本宮富士浅間神社に立ち寄る.ここは富士山信仰の中心地で,
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭っている.武田家も,徳川家も信仰は厚かった
そうである.境内の杉はなかなか立派で,歴史を感じる.私は交通安全のお守りを買った.
国道138号線と名前が変わった道を進む.だんだん雲が切れて,富士山の頂上の一部
が見えてきた.雪があるのがわかる.あの山を見ていると,富士山信仰の起こったこと
もわかるような気がする.自衛隊の演習場を右手に,忍野村を左手に走り,次の湖,
山中湖にいたる.こちらは観光地化が進んでいる様で,多くのボートが浮かんでいる.

 今日の宿のある御殿場へは,ここから篭坂峠(かごさかとうげ)越えていく.峠の
高さは1100mほどだが,山中湖で981mなのでそれほどの登りでもない.行楽
の車で渋滞する峠道をスイスイとすり抜けて登っていった.天気はだいぶ回復した.
山を降りれば回復するに違いない.峠を登りきり,静岡県に入る.下って行くと,
雄大な富士のすそ野の広がりがはっきり実感できる.まことに雄大な山である.
しかし当の富士山はまた雲に覆われてしまった.いつになったらきれいな姿をみせて
くれるのだろう.御殿場市は標高500m,今日の午前中の登りの苦労が報われて,
快適な下り坂だ.天気は回復して来ており,明日は期待できそうだ.眼下に広がる
御殿場の町へ,私はスピードを出して下った.

 御殿場YHは,御殿場の町からすこし外れた東名高速の御殿場ICの近くにある.
5月5日の朝,ここのYHの奥さんの「富士山がよく見えますよ」という言葉に,
宿泊していたホステラーはみんな飛び起きた.外に出ると,抜けるような青空の中
に白い雪を輝かせた富士山がドーンと見えた.感動した.私に取って,こんな完全な
富士山の姿を見るのは初めてだった.来て良かったと思った.さて,今日はこの富士山
を楽しみながら,箱根の旅をしようと思う.YHで知り合った何人かのバイクの人たち
が手を振って先に出発したあと,私も走り出した.よい天気である.


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